ポスト3・11〜その2〜

 科学は蓋然的なものです。科学で語られていることは、一〇〇%正しいことではなく、一〇〇%近く正しい(と思われている)ことにすぎません。

 「原発は安全だ」といっても、それは確率の問題でしかありません。保険会社の計算では二千年に一度、電力会社ですら、一千万年に一度、事故が起こると考えていました。実は、福島原発事故当時、日本には五四基の原発があり、保険会社の確率で考えると、三九年に一回という確率で事故が起こる計算になっていました。

 だから、事故は、たまたま起こったのではなく、いつか起こるものが起こったにすぎません。原発が科学技術の産物である以上、どんなに安全対策をしても、それは避けられないものだったのです。

 にもかかわらず、「原発は安全だ」と思い込んでいたのなら、それは誰の責任なのでしょうか。

 近代のように人間=主体性と考えれば、そう思い込んだ人が一番悪いといえます。しかし、「知らなかったおまえが悪い」と言われても、原発などという非日常的なことに詳しい人はそういませんから、原発を建設する際に正しい知識・情報を伝えなかった者の責任は軽くないでしょう。

 はっきりいえることは、原発を建設するために「安全だ」と思い込ませたかったり思い込みたかったりする人たちがいたということと、それはけっして他人事《ひとごと》ではないということです。日本全体が「原発は安全だ」ということにしたから、建設されたのですから。