ポスト3・11〜その3〜

 原発の発電コストは安いといわれてきました。

 しかし、そこにはさまざまなコストが含まれていませんでした。研究開発費、立地対策費(そもそもそれが必要なところに問題があるわけですが)、いざ事故が起こったときの賠償費など、都合の悪い部分が省かれていました。

 事故以来、いろいろな試算がなされていますが、結論がまちまちなので、結局原発は安いのかどうかわかりません。しかし、それこそが正しい情報のあり方なのです。情報は、立場によって、その色合いをまったく変えます。だから、受けとる側もそれをわかった上で受けとらなければなりません。にもかかわらず、情報が中立で客観的なものであるかのように出されたり、それをそのまま受けとってしまったり……インターネット全盛の時代にある私たちは、これまで以上に情報の出し方、受けとり方に注意を払わねばなりません(メディア・リテラシー)。

 ただ問題は、そもそも今回のような事故を金銭に換算できるのか、ということです。賠償額をいくら高く見積もっても、日本全体に及ぶ(あるいはその外側にまで広がる)放射能の影響はもちろん、人の生命《いのち》や思いなどは決して金銭に換算しきれません。そうした都合の悪い部分を排除することは、(計算できないのですから)ある意味で合理的ではありますが、ものごとに対する全体的な視野がないといえます。こうした態度は近代合理主義と呼ばれ、近代(特に科学)の特徴的な思考方法です。