ポスト3・11〜その4〜

 ここまで、原発が安全で安価な電力を得る手段かどうかを考えてきました。そこから言えることは、「原発は安全とは言い切れない」ということ(その2)と「原発は安いとは言い切れない」ということ(その3)でしかありません。

 ただ、安全だと言い切れないなら、原発は廃止すべきだ、というのは急ぎすぎです。

 たとえば、自動車によって、毎年多くの死傷者が出ています。しかし、自動車を廃止しようという話はなぜか出てきません。それは、自動車が有益だからです。

 私たちが使っている道具に安全なものはありません。鉛筆だって、指に刺さってケガをします。そうした危険性と有用性を比較衡量した上で、有用性の方が優っているものを私たちは道具として使っています。

 では、原発はどうでしょう?

 その答えが立場によって異なるからこそ、原発は問題になっているのです。ここでは、一つ一つの立場を検証していくことはしませんが、危険性と有用性の比較衡量なしに、原発問題は論じえないとだけいっておきましょう。だから、有用だからと言いつのる意見も、逆に危険だからと言いつのる意見も、現実問題として説得力をもちません。

 近代は、今を否定することで進歩してきました(進歩史観)。私たちは、今原発が当たり前にあることを否定し、前に進まなければなりません。存続するとしても、廃止するとしても、そこには新しい私たちの姿があるはずです。