「ハミガキ」の勉強

子どもにとって、ハミガキはいやなものです。それを毎日毎日親が強要しているうちに、当たり前のこととして〈身〉につけます。しかし、その習慣がいいかげんだったり、磨き方が下手だったりすると、虫歯になります。
勉強には、こうした面倒くさいけどやらなければならないことがたくさんあります。それが当たり前のこととして〈身〉についているかどうか、たとえ〈身〉についていたとしてもそれがどれくらいのレベルなのかによって、勉強の質は変わります。

ものごとは〈身〉につけることが必要なのであって、〈頭〉につけても使い物になりません。
ピアノの弾き方を〈頭〉で理解しても、それは弾けたといいません。
勉強も同じです。なのに、〈頭〉でわかったと思った時点で、勉強したつもりになっています。
小学校の頃もそうだったでしょうか? 考え考えしながら、「あ」が書けても、それは「あ」が書けたことにならなかったはずです。考え考えしながら、九九が言えても、それは九九ができたことにならなかったはずです。
何も考えないでできるようになって=〈身〉につけて、「できる」というのです。
しかも、それは100パーセントでなければなりません。
9割がた、ひらがなが書けるとか九九が言えるというのは、「できる」とはいいません。
高校での勉強はそうなっているでしょうか?

なぜやったはずの英文法ができなくなるのでしょうか。
なぜやったはずの計算ができなくなるのでしょうか。

それは、〈身〉につくまでやっていないからです。〈頭〉につけただけではすぐ忘れてしまいます。〈身〉についたものはなかなか忘れません。
〈身〉につけるためには、基本のことを繰り返しやる必要があります。しかし、〈頭〉でもうわかっているのに、それを黙々と繰り返しやることは、簡単ではありません。
そうした基本をスルーして、応用問題ばかりやっても、本当の力はつきません。

「ハミガキ」の勉強は、面倒くさいけどやらなければならない日常的な勉強です。
勉強を「基本」と「応用」に分けるなら、この「ハミガキ」の勉強は、「基本」以前の勉強の姿勢であって、本当は誰もがまず訓練しなければならないものです。

英語が本当に得意な生徒は、しばしば、英語を勉強したことがないといいます。数学が本当に得意な生徒は、しばしば、数学を勉強したことがないといいます。もちろん、彼ら/彼女らは、ちゃんと英語や数学を勉強しています。が、それを勉強と意識することもなく、毎日やっていることがあります。たとえば、英語の本や雑誌をただの読書として読んでいたり、数学の問題を友達同士でクイズのように出しあったり……そうしたことを毎日勉強とも思わないでやってきた結果、英語や数学が得意になっているのです。

「好きこそ物の上手なれ」といいます。好きだからこそ、何も意識しないで本当に大事なことを毎日やる、それが得意になる秘訣です。
「ハミガキ」の勉強は、それを意識してやろうということです。そのためには、かなりの苦労が要ります。かなりの覚悟が要ります。

〈あざみ野塾〉がまずめざすのが、この「ハミガキ」のし方を教えることです。