あざみ野塾はこうして生まれました

 予備校業界で20年以上いる私が言うべきことではないかもしれませんが、ずっと抱いてきた疑問があります。

 どうして高校生たちは、昼間高校で授業を受けた上に、塾や予備校でまた授業を受けるのだろう。
 こんなに一生懸命勉強して(長時間勉強して)、どうして成績が伸びないんだろう。

 たしかに、塾や予備校で得るものもあるでしょう(そうでなければ、私の仕事には価値がないことになります)。しかし、重複している部分も多い。というか、ほとんどが重複しているはずです。その残りわずかのために、彼ら/彼女らはどれほど時間を使っているのでしょう。
 逆に、こんなに長時間授業を受けていたら、自分の勉強ができるわけがないという思いもあります。現に、学校のテスト前になると、特に高1・2生は、塾の授業を休みがちです。しかし、そこでやっているのは、ただの学校のテスト対策にすぎず、科目によってはテストが終わった瞬間忘れさられる運命にあります。
 勉強に効率や効果を求めるくせに(それはもしかしたら授業を受けすぎて時間がないからかもしれませんが)、彼ら/彼女らは、学校の勉強と受験勉強がどうやら違うものだと思っているらしく、学校のテスト勉強とは別に受験勉強をしようとします。しかし、本当に、学校の勉強と受験勉強は違うものなのでしょうか。

 当たり前の話ですが、私は、高校生たちには高校の授業をちゃんと活用してほしい、と思っています。塾や予備校で無意味に授業をたくさんとっている姿を見ると、(立場上言えないからこそよけい)そんな時間があるなら自分でちゃんと勉強しろよ、と言いたくなります。
 きっと、高校生は、成績が伸びない理由をコンテンツの問題だと思っているのでしょう。いい授業を受ければ、成績が伸びる。たしかにそうした面もあるでしょう。教える側として、よりいい授業をめざすのは当然です。しかし、そもそもの「学び」のあり方自体が歪んでいるように思うのは私だけでしょうか。
 もしやる気があるのに空回りしているなら、それを手助けしたい。そのためには、高校生の「学び」のあり方をよりよくする必要があります。

 〈あざみ野塾〉の基本理念は、ここにあります。地域限定の小さな塾ですが、「学び」について学ばせたいと、有志が集まってくれました。
 学ぶことは楽しいことだといわれます。でも、それ以上に辛いことの方が多い。面倒くさくて泥臭いことをコツコツやっていかなければならない。それが結果的には効率的で効果的だということを教える塾にしたいと思っています。

 塾の内装を頼んだ業者は、〈あざみ野塾〉を小学生向けの塾だと勘違いしていました。それは、部屋の構造を相談した時に、音読をさせるからうるさくないかな、と何度も聞いていたからです。語学の基本は、音読です。英語も、現代文も、古文も、漢文もそうだと私たちは思っています(可能なら、社会も)。それが基本になっていないなら、いくら文法を勉強しても、どれほど身につくでしょう。でも、業者が勘違いしたように、高校生が音読するなどということは常識になっていないし、ほとんどの高校生がやっていません。
 古文が苦手だからどうしたらいいのか、と相談された高3生に、まず音読をしろ、とアドバイスしたら、数週間後に、効果が感じられないと言われました。高校生の認識など、そんなものです。音読したら成績が上がる、などと私は言いませんでした。上げたいなら、まず音読を始めろ、と言っただけです。

 そもそも、こんなことに親が金を払うと思っているの?、と言われました。「学び」の基本的な姿勢など、教えなくても簡単にできるはずだということでしょう。でも、本当にそうでしょうか。
 少なくとも、私の知るかぎり、「学び」の基本的な姿勢を身につけている高校生はほとんどいません。たとえ理屈でわかっていても、それを実践できる者はほとんどいません。そのために、彼ら/彼女ら自身が一番嫌う非効率的な勉強になっているのです。何回勉強しても身につかない。だから、塾や予備校に通う。
 さらに、高校の先生がまともな授業をやっていると思っているの?、とも問われました。
 私は、多くの先生が自分の授業をよりよくしようと努力していることを知っています(それを支援するのが「学びネットワーク」です)。が、残念ながら、そうではない場合もあるでしょう。だからといって、高校生は授業を無視するわけにはいかないのだから、それをどう活かすかを考えるべきです。ほぼ同じ内容の授業を再び塾や予備校で受けることではないと思います。

 〈あざみ野塾〉のめざすのは、塾が要らなくなることだね、という指摘も受けました。
 そのとおり。ちゃんと学べるようになるなら、塾など要りません。「塾の要らなくなる塾」こそ〈あざみ野塾〉のめざしていることです。
 でも、もしそれが実現できたら、次はもっと本格的な「学び」をめざしたいと思っています。「学び」に限界はありません。高校という枠で勉強をかぎる必要はありません。英語の本を読んでも、古文の本を読んでもいいでしょう。できることはいくらでもあります。
 高校の勉強は、受験勉強でもあり、一生の勉強でもあるのです。

あざみ野塾代表:大前誠司

※ 「学びプロジェクトはこうして生まれました」と内容的にほぼ同じです。